ゴールデングローブ見たよ(2012年)


あ、あけましておめでとうございます。
うっかりすると年明けたのを忘れてるんだけど、これってどういう現象なのかしら?

さて、私もいよいよ25歳になりまして、おかげさまで見た目のフレッシュ☆キープはしているのですが(まじでまじで!)、そこは25歳なものですから多少の図々しさを育みつつもあるわけです。しかたないよね、言いたいことも言えないこんな世の中に25年ですもの。

だからさっきまで真面目っぽい話してたのに、いきなりケーハクな話題に飛んじゃったりも平気でするわけです。

というわけで、ゴールデングローブ賞見ました。子供に邪魔されながら。

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もうドレスの話しかしないわよ。
だって肝心の映画とかぜーんぜん観てないんだもの。
誰か私に自由時間と潤沢な資金を頂戴!
あと画像収集に熱がこもってないのバレバレだけど許してちょ☆

アタクシ的ベストドレス

Emma Stone (Lanvin)

私この人よく知らないのですが、ドレスきれいだったなーと。
これ、ベルトのところにロック魂が宿っててかっこよかったのよ。

Angelina Jolie (Atelier Versace)

シンプルかつ色の使い方が効果的で素敵。
が、それよりアンジーってこんなに色白かったっけ?ってほうが気になっちゃいました。
あと痩せたねぇ…子供6人と世界中飛び回ってるから太る暇もないんでしょうけど。

Nicole Kidman (Versace)

ニコールはここ数年で一番のヒットでした。
このウエストのライン、すごいよなあ。
(あのさ…乳入れた…?)

Charlize Theron (Dior)

シャーリーズ・セロンはヒットとミスの波が大きいんですけど、今回はヒット。

今まではキレイだけどなんかピンとこないと思ってたのですが、ちょいと老けたら(失礼)かっこよくなった気がする。
顔に渋みが出たというか。

Natalie Portman (Lanvin)

産後ナタリーいいじゃなーい。ホットピンクが決まってるじゃなーい。
でもプレゼンターで登場したとき立ち位置ミスってたから、早くカンを取り戻して!

Kate Beckinsale (Roberto Cavalli)

この日のケイト・ベッキンセールは素晴らしかった。
ゴージャス! 完璧!
ステージ上で公開セクハラ受けてたけど…。

Sofia Vergara (Vera Wang)

マーメイドスタイルのドレスってこういう人が来てナンボよねえ。

Jessica Alba (Gucci)

ジェシカ・アルバも産後じゃなかったっけ?
やっぱ可愛いわー。
可愛いけど、この先どういうポジションになるのかさっぱり読めないわー。

アテクシ的ナニコレ

Michelle Williams (Jason Wu)

ミシェルなんでベルベッドやねん。
っていうか彼女、マリリン・モンロー演ったのよねぇ。

…素晴らしい演技力よねぇ。

Madonna (Reem Acra)

誰かマドンナ姐さんに物申せるスタイリストはおらんのか!
このスカート部分のボリュームも良くないと思うんだけど、何がイカンってこのキャップスリーブがイカン。
壇上でズームアップになったときなんて、もう腕にしか目が行かないもんね。
でも腕出しちゃうんだねぇ。彼女の勝気が出させちゃうんだねぇ。

Jessica Biel (Elie Saab)

ジェシカ・ビールのありがたみが分からない私です。
このドレスは酷い。一昔前のウェディングドレスみたい。
せめて髪をまとめてくれたら、もうちょっとはスッキリしたかもしれないのに。
あ、婚約おめでとう。(←とってつけたように)

Glenn Close (Armani Prive)

こういう場でお姿拝見するの久々な気がするので嬉しいです。
しかしスタイリストが必要です。

Heidi Klum (Calvin Klein)

ハイディはドレス自体に文句はないんだけど、ノーブラだったのよ。モロよモロ!
あなたのキャラなら分からないこともないわよ?
でもね、そこはやっぱりシール貼るべきだったと思うわ。

その他、気になった人たち

Evan Rachel Wood (Gucci Premiere)

邪悪なこいのぼりのようですが似合ってます。

ドレスより髪型が気になったのよー。このショート素敵。

Jodie Foster (Armani)

普通っちゃ普通だけどジョディだからいいの。
彼女の目ってこのドレスみたいな色なのよね。
アルマーニとの蜜月は続いているようで。

Tilda Swinton (Haider Ackermann)

ティルダ様にベストもワーストもないわー。
数年前のゴミ袋みたいなドレスの一万倍いいわー。

一緒に来てタ

エルトン・ジョンとカナディアン・ハズはスゲー靴履いてんなー。
拡大。

あ、そういえばキャリスタだったね。ハリソンごと忘れてた。

どうもキレイなカップルな気がしないのはブラピの所為なのか?

他にも素敵なドレス、へんてこなドレスあったのですが、テレビ見てて目に付いたのはこのへん。

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あと思ったのは、ああいうステージに老人がピンで立つとドキドキというかハラハラというか、会場の空気ピーンというか、そんな感じになるのは日本もアメリカも一緒なのねーということ。クリストファー・プラマーしかり、シドニー・ポワチェしかり。静まり返ってたなー、会場。皆さん飲食の手を完全に止めてたなー。まぁアレだ、偉大な大先輩が舞台上にいるんですものね、あの極限まで厳粛な空気も当然かな☆

「それでは引き継ぎまして」

って、ヘレン・ミレンが登場したときホッとしちゃったわ。いいわー。女王さま相変わらず美しいわー。

ところでシドニー・ポワチェとヘレン・ミレンはモーガン・フリーマンのセシル・B・デミル賞受賞の祝辞で登場したのだけど、ここでモーガンの過去の功績を振り返るVTRが。いやー、さすがにいい仕事してるわあ。モーガンったらつい最近交通事故を起こして、そのとき助手席に妻でないネエチャンが乗ってたらしいんで、アタクシ25歳ったら潔癖でございましょ? いい歳してネエチャンかよ!とか、いい加減に枯れろやコラァ!とか、そりゃもう愛らしいことを思ったものですが、いやー、やっぱりいい仕事してるわあ。大事にしましょうね、ホントに。

安全運転を心がけましょう

モーガンを語りに出てきた女王様は貫禄のそつのなさだったのですが、今年のミス・ゴールデングローブの紹介に出てきた彼らときたら!

 「ふぇぇん、カンペが故障だよおお」

「今年のミス・ゴールデングローブは美しいレイニー・クアリー嬢。お母様はあの大女優(←ちょっとフカシた)アンディ・マクダウェルです」くらいアドリブで言わんかい。さては名前覚えてなかったわね?

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ま、そんなかんじ!
楽しかったですわ、それなりに。
「それなりに」にいろいろこもってますけど、まあお気になさらず☆


私の漬物石7 気付いたらIN気付かなくてもIN


このへんいろいろ略

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「構造」ですね、はい。

私が認識しているところをまず。

唐突ですが私は右利きです。

左利きの人が文章を横書きする際、書いたそばから自分の手で隠していっちゃうじゃない? それって書きにくくないかなと思ってました。手も汚れそうだし。でもそれ以外に具体的な不便って想像つかなかったのね。そしたらある日、左利き専用ショップなるものを見つけたの。そこには「急須」があった。いやもう目から鱗がボロボロ落ちたね! 「普通の急須」を上から見たとき、注ぎ口の左側90℃のところに取っ手がついてるんだけど、「左利き用の急須」は右側についてるのね。考えたこともなかった。そういえば駅の改札で切符を入れるのも右利き設定になってる。日常の小さなところでいちいち不便なのね。しかもツイッターで教えてもらったんだけど、万年筆って左手で使うとインクが出ないんだって! 「左利き用の万年筆」というものを特別に買わないといけないって。や~、ビックリしたわあ。

私は圧倒的多数を占める「右利き」であるがゆえに、今までまるで気づかなかったわけですよ。

「左利きの不便」に気付かなかったというより、「世の中が右利き向きに作られてる」のに気付かなかったの。

参考画像「急須」

参考画像「急須 左利き」

ちなみにウチのパパリンも左利きなのよ。でも言われないと分からない。何故かと言うと、字を書くとか箸を使うとか日常で目にする動作は右手でやってるからなんです。子供の頃に「矯正」されたんだって。考えたらすごいよねぇ。左利きに生まれついたのに、右利きが「普通」だからって言われて「矯正」されちゃうって!

この場合、私自身は左利きの人を差別(っていうと大げさだけど例え話なのでね)してないわけです。「普通の」急須のデザインをしたのは私じゃないし、駅の改札を右側に設置してもいないし、左利きの人を「矯正」もしていないわけ。でも、「左利きの不便に気付かない」点で、「右利き向きに作られた社会を何の疑いもなく享受してる」点で、私は「左利き抑圧構造」に消極参加し、知らないうちに強化すらしてることになります。別に参加したくてしたわけじゃない、右利きに生まれついた時点でマジョリティにin☆しちゃったわけで、不可抗力ではある。ではあるけれど、「参加している」んだなこれが。

そんでまあ「左利き」だけじゃないですわね、世の中の少数派は。そしてその少数カテゴリ具合によって、「専用に開発された急須を買わなきゃいけない」から、「就職に不利」だとか、最悪の場合「生命を脅かされる」レベルの差別がある。この抑圧構造/差別構造に気づかないことも多々あって、私もたぶん気づいてないやついっぱいあると思うのですが、気づかない理由としては今のところ3つくらい考えてます。

1つ目は「単なる無知」。

まだ親の庇護下にあって、社会との接点があまりない子供とかですね。

2つ目が「自分がマジョリティである」。

右利きマジョリティの私が「普通の急須」を使って不便とも思わず、呑気に「左利きって理系っぽくてカッコイイ! いいなー」とかアホ言うてるのがそれです。

3つ目が「明らかな偏りがあるのにジョーシキとされ過ぎてて気づかない」。

当然のように「仕事と家庭の両立」に悩んでたけど、よく考えたらソレ悩んでるの女だけじゃねーか!とかですね。

マジョリティは「参加しちゃってる」と書きましたが、そんじゃそれは「悪」なのかっつったらそれは微妙よね。

いかに自分のポジションを自覚しているか(感知が難しい場合が多い)、そしてそれにどう向き合うかによるのだと思います。

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…と、ここまでがズバリ「去年」なのよ。

前回のエントリから1年近く経ってて、っていうか気付いたら2011年が終盤なんでショックだわ~。
今年マジで正味10日くらいの実感しかないわ~。

漬物石に関する私の雑感は基本的にはあまり変わってないと思うのね。

そりゃ1年も経つから微妙な路線変更はあるわよ。人間まったく変わらないなんてことはない。

しかも今年はアレがあったからさ~。

ここで切る。次で終わる。…たぶん。



私の漬物石6 潔癖な日本の私


もう間開きすぎ! 何の話してたか覚えてる人いないわよ!
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ここで話は振り出しに戻ります。覚えてらっしゃい…ませんよね。いつの話だっちゅーねん。

「私の漬物石1 傷から石へ 遠方よりアプローチ」

http://www.aino-oshiuri.com/?p=603

正直言って映画『マルコムX』を観た当時の私って、何の疑いもなく、差別構造是正を求める黒人たち(マイノリティ)に感情移入して観てたんですよ。当時は日本に住んでいたんだから、立場としてはマジョリティなのよね。つまりYさんが私に(そのつもりがなくても)突きつけた事実とは、この記事で取り上げた例のシーンにおいて、私はむしろ白人女性の立場に近いということです。そしてそれが私に与えた衝撃が何だったのか、今回はそれを書こうと思います。

ちょっとnakazawa_utakoさんによるこのツイートも心の隅に置いててくださると嬉しいわ。

なぜ、人の痛みを見たときナイーブになるのか?自分が責められていると感じてしまうのか?そして、痛みを訴える人にナイーブさの責任を負わせようとするか?なぜ、飛躍し、捻れた感情表現をするか?

http://twitter.com/nakazawa_utako/status/13605811058118657

補足しますと上記ツイートは「ポルノを真に受けた男性から受けた苦痛」を訴えたら「男は○○という一元化から受けた苦痛」という反応が来たことに対する言葉です。一体どういうアレでいきなりこのツイートが出てくるのかと言いますとね、私が「日本への愛国心とアジア諸国との軋轢に関するモヤモヤ」と「多文化共生におけるマジョリティとマイノリティそれぞれの言い分」と「女性抑圧に関する男女の言い分」を同じ鍋に突っ込んでグラグラ煮ているからです☆ 「ややこしいから分けて考えろ」ったって無理でぇす☆

被害者側(もしくはマイノリティ側)が苦痛を訴えるとき、非難の対象はたいてい「構造」なんだと思います。Yさんが「日本が犯した過ち」と言ったときに私を指していないように、マルコムが「白人は悪魔」と言ったときに白人の個人を指していないように、たいていの女性が「男って…」と言ったとき特定も不特定も含めてその辺歩いてる男性を指していないように。でも何故か名指しされた属性を持っていると反射的に「自分が責められてる」ような気分になるのよね。「私を苦しめる(苦しめた)あなた」と指差される気になっちゃうのよね。

そして私、それ自体は決して悪いことだとは思いません。何の引っ掛かりもなく「自分関係ない」って思うよりずっと良いんじゃないかと。でも何故か「抑圧者を名指しされた苦痛」が必要以上の拒絶反応を見せる人が多いかな?と。もちろん私も含めて。

ここでロンドン新(米)所長日記さんからの記事を参考にお読みください。

『欧米人が謝らない理由』と『日本人が褒めるのが下手な理由』

日本人の倫理的背景となっている(正統派)儒教の思想は、性善説であり、教育や修行によって、人は目標を達成できると考える。つまり、10回のうち1回失敗すれば、努力が足りなかったと反省すべきと考える。だから、オリンピックで金メダルが取れないと、国民にお詫びしたりするわけだ(※これって欧米人には理解不能な行動なのです)。

一方、欧米では、アダムとイブが創造されて以来、人間は、不完全で罪深きものと考えられている。したがって、過ちを防ぐためにルールやシステムが必要だと考えている。だから、完璧なんて無理なのだから自分の長所を伸ばせばいい、と。だから、10回のうち9回も成功するなんて凄い、となるわけで、自分はベストを尽くしたんだから褒められてしかるべき。1回くらいのミスは自然なことであって、自分が悪いわけではない、と考えるのだ。

http://plaza.rakuten.co.jp/Londonnikki/diary/201010210000/

私これと似たことをずっと考えていて、日本の神道って「汚れをはらう」もので、つまり元はキレイですよね。上記ブログの「性善説」も合わせて考えると、日本人って無意識に人間(=自分)は無垢である(べき)観念を抱えてるのではないかしら?と。そこに「あなたは抑圧する側に属していますよ」と言われた(ように感じた)ら、ものすご~く自分が「あるべきでない状態」「許されない立場」であるように錯覚しちゃうんじゃないかしら?と。そしてその潔癖さゆえ、胸に置かれた石の存在感が必要以上に大きくなっちゃうのではないでしょうか。そこいくと「原罪」という概念のあるキリスト教文化で育った人たちは胸の石への耐性が高いんじゃないかと思うのです。人はまっさらな存在ではないけれど、それでも許される、許してくれる神がいるというのは強みかな、と。

繰り返しますが、それ自体は悪くないと思うんですよ。日本人のこの潔癖性とかある意味世間知らずであるところとか、私は結構(日本人の自分が言うのもアレだけど)愛おしいと思う。ただ見方を変えると、「私な~んにも知りませぇん」というカマトトぶりが鼻につくとか、「私に万が一の落ち度もございません。悪事はすべて私の外に存在します」という傲慢さになることは否めません。そのうえ拒絶反応が過ぎて、「こんな気持ちにさせたマイノリティめ…」だの「ぎゃ、逆差別ぅ!」だのなるのはいただけませんわね。

しかし問題は前述の「構造」。これって何なのか? 「構造」は「差別」「抑圧」に直結しているのか? 「構造」の中のマジョリティは「悪」なのか? そして「構造」への所属に選択肢はあるのか? 

…などを次回。(ごめん、ほんっと長くて)

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nakazawa_utakoさん@Twitter

http://twitter.com/nakazawa_utako

ロンドン新(米)所長日記

http://plaza.rakuten.co.jp/Londonnikki/

『欧米人が謝らない理由』と『日本人が褒めるのが下手な理由』http://plaza.rakuten.co.jp/Londonnikki/diary/201010210000/



私の漬物石5 Yさんからの手紙 後編


「Yさんの手紙」から何年も経って、私とカナダとの関わりは大きく変わりました。期間限定の学生として過ごすカナダと、「もしかしたらここで一生を終えるのかもしれない」と思いながら家族を持ち、子供たちが育っていく社会として見るカナダはまるで違う国のように思えます。カナダは別に変わってなくて、私が変わっただけなんですけどね。

今思うと、Yさんは自分の胸の石の軽減化の一環として、後輩(私です。おこがましいけど)を「啓蒙」しようとしたわけではないとよく分かります。彼女はきっと、な~んにも考えずに結界(=日本)の外へ飛び出そうとしている私に言わずにはいられなかったんだ。もし私が彼女の立場だったら、やはり「その警告」を発せずにはいられないと思います。

「心せよ。あなたはこの世界に点のように存在するわけではない」

振り返ると自分の足跡は確実に「日本の歴史」に繋がっている。左右には「世界」が広がっていて、様々な国と文化を背負った人々が、やはりそれぞれの「歴史」を足に絡ませて存在している。私は己の準備不足を突きつけられました。

実はこの記事に先行して、うっかりTwitterで吐露してしまったのですが(整理できてなくてワァワァだったわよ)、海外生活をする中で「日本の戦争責任」を個人として突きつけられるのは本当につらかったんですよ。しかも肝心の「国の見解」がいまいちよく見えない。誰もが納得の「正解」などは求めていないけれど、せめて「これだけ議論を重ねてきました」めいたものがあれば少しはマシだったと思います。だけど現実は「触れることもタブー」なのよね。ソレを曖昧にしたまま、ひたすら経済発展に全力を注いで「(経済的には)世界と肩を並べた」というのが日本の戦後だったのだから。

これは私がいかにマヌケだったかという話なんですけど、日本とカナダは戦争してないつもりで来ちゃったんですよね。ンなこたぁなかった。カナダは英国とワンセットであるゆえ(いちおう立憲君主国なのよ。英女王を戴く国なのよ)、カナダにとって日本はバッチリ敵国なのでした☆

でね、そんな国でね、たった1人でね(日本人同士ってやっぱこの手の話は出来ないのね)、「加害の歴史」をウジウジ考えるのはしんどかったんですよ。不謹慎ながら「被害の歴史」のほうがなんぼか楽と思いました。実体験を伴わぬまま「原爆落とされて辛かった」と言いながら、でも広い心でもってアメリカを「許してあげる」のは何と気持のいいことか!(不謹慎です。ホントすみません) 更に言うと「原爆投下で戦争が早く終わり、結果として多くの日本民間人の命を救った」とトンデモ説で涼しい顔してる一部アメリカ人の太い神経が羨ましいわよ。

…なんか恨み節が加速してしまいました。

えーと、節度どこ行ったっけ?

外国で暮らすってこういうことでもあるんですね。きっとYさんの胸にあったのはそういう思いで、あの手紙は思わぬところを「褒める」体裁を取った「…そのへん分かってる?」の確認であったのではないかと。

もちろんYさん何も意図してないって可能性もありますけど。

もうそろそろまとめるよ!



私の漬物石4 Yさんからの手紙 前編


あれはカナダに来て最初の年、私は日系アメリカ人の知人に近況報告の手紙を出しました。英語を勉強するためにカナダに来たこと、毎日を楽しく暮らしていること、韓国人のシェアメイトがものすごく辛いラーメンを作ってくれたなどなど、たわいもない話ばかりを。

しばらくしてYさんから返事が来ました。私の英語がとても上達していると、そして「あなたが日本の犯した罪を理解し、韓国人のシェアメイトを持っていることがとても嬉しい。罪もない多くの女性を性奴隷にするなんて恐ろしいことを…」と。

どうして?

Yさん、どうしてそんなことを言うの?

思いもよらぬYさんの言葉が私にはショックでした。友人と私のごく個人的な友情に、どうして「日本の罪」なんて言葉が入ってくるのか。もし、私のシェアメイトがアメリカ人だったら、Yさんは「原爆を落としたアメリカの罪を理解している」などと評価しただろうか。私にはそうは思えません。

例えば私がアメリカ人の女の子と知り合って、これから良い友人関係が築けるかな?というときに、「ヒロシマ・ナガサキのことは本当にごめんなさい。アメリカ国民として心からお詫びします」なんて言われたらドン引きじゃないの。「えーと、お気持は有難く戴くけど、友人関係はちょっと考えとくわ」ってことになりかねません。彼女に直接関わりない「罪」のお詫びに友情を差し出されてもね。

それでも私は、Yさんがどういう気持であの手紙を書いたのか分かる気がしていました。心の奥に大事に暖めていた「祖国」が「アジア諸国を蹂躙した国」に変わった瞬間の、その痛みを語った彼女であるから。Yさんの「祖国」は安寧ではなくなってしまった。抱え込んだ石の重みに、彼女はどう耐えたのだろう?

NYの自宅をいきなり訪れた私を暖かく迎えてくれたYさん。

私の酷い英語に辛抱強く耳を傾けてくれたYさん。
Yさんにご馳走してもらった韓国料理の美味しかったこと。

思えば短いNY訪問の日々、Yさんと行動を共にしていたのは在米韓国人の方々でした。「ああ、そうか」私は思いました。「Yさんはそのように胸の石と向き合っているんだ。そのために私にあの言葉をかけずにいられなかったんだ」

私はきっとYさんの想いを受け止めきれていなかったのです。

続きます。(なっげー!)



私の漬物石3 二級を生きる


続き

移民側から見た「生活の現実」とは何か?

それは彼らが二級市民(Second-class citizen)であるの一言に尽きます。

もうね、ここで建前とか奇麗事なんか言っても何の役にも立ちませんよ。カナダがどんなポリシーを掲げたところで、非白人系移民の生活実感は「二級市民」です。「私は非白人だけど二級市民扱いなんかされたことありません」という人は気付いてないだけ。もしくは気付かずに済む範囲で生活が成り立っている幸運な人。

二級市民扱いと言っても、絵に描いたような差別待遇もあれば、「やってる本人気付いてないんだろうなぁ、この違和感」みたいなのまで様々です。

現代の奴隷制度レベルの差別待遇はキャシーさんのブログに詳しいです。(ちょっとゲイゲイしいわよ)

感謝祭はアクティビズムに燃えましょう。

「善意の」カナダ人がやっちまいがちなのが、「途上国から来て何も知らないだろうから教えてあげましょう」的な子供扱い。この場合の問題は2つあって、1つはいい歳の大人相手にもやっちゃうから馬鹿にしてるようにしか見えないのと、2つ目は「何も竪穴式住居から出てきたわけじゃないんだからさ…」っていうモヤモヤ感。ウッカリした人だと「カナダに来られて本当に良かったわねぇ」とか言っちゃう。

この感覚はやられてみないと分からないかもしれませんが、本当にイライラするんですよ。カナダでは仕方なくタクシー運転手やライン工とかやってるけど、実は博士号持ってますなんて人いっぱいいる。そういう誇り高い人たちが、幼児相手みたいなベッタリと気持悪い「親切」受けると想像してみてください。「私の面倒見てくださらなくていいから、もう少し対等な人間として扱ってくれません?」って気になるでしょ?

善意のもとに「移民に歩み寄ろう」としてこういう態度になっちゃうのは、「非白人の国=遅れた経済、遅れた文化」という意識がどこかにあるからではないでしょうか。世界経済的に途上国というのはあっても文化に優劣はないし、経済途上だって個人の資質には関係ない。境遇と人とは複雑に絡み合ったものであるけれど、余計な概念を取っ払って「その人」と対話しなければ真の交流は生まれない。難しいですね。

受け手としては善意からだということは分かっていて、だからこそモヤモヤしてしまう。ちょっとズレた交流を重ねるたびに胸の石が大きく重くなっていくように感じる。

日本の文化融和主義を唱える人たちにもちょっと考えてほしいのですが、旅行や留学ではなく日常で、繰り返される日々の生活で、ずうぅ~っと「一段劣る人たち」と扱われるのってどう思います? その現実の外に何か拠りどころとなる「祖国」を思わないとやってられないと思いません? 「私の国では」「私の文化では」ごく普通の人間に戻れるという安寧がないと耐え難くありません?

で、その安寧となる「祖国」なんですけど。

続きます

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参考リンク
トロントのハッテン車窓から…

http://ameblo.jp/canada-gay/

http://ameblo.jp/canada-gay/entry-10681225350.html



私の漬物石2 多文化共生の落とし穴


続き

ここで私の目下最大の漬物石の話を書こうとしたんですが、ちょっとこれが予想以上にしんどいので、ちょっと違う話から先にします。

このニュースはご覧になりまして?

German multiculturalism ‘utterly failed’: Merkel

(ドイツにおける多文化主義は完全に失敗:メルケル首相)
Germany’s chancellor says attempts to create a multicultural society in the country have “utterly failed.”

この多文化主義とは移民政策の理念の1つで「(移民たちが持ち寄る)様々な文化を尊重し保存しつつ、共に国を築いていきましょう」というもの。同じポリシーをカナダも掲げているため、このドイツの敗北宣言(?)はこちらでもかなりの反響でした。このCBCニュースサイトにも多数コメントが寄せられていましたが、目に付いたのはおそらく白人系カナダ人による「多文化主義にはもうウンザリ」といったもの。中には「差別主義と呼びたきゃ呼べ。多文化主義よりずっとマシ」とヤケクソ気味な人まで。

これが「あいつらが俺たちの職を奪ってる!」程度のことなら差別主義と認識不足のコンボで話にもなりませんが、彼らの言っているのは移民増加にともなう治安悪化であり、コンセンサスの不機能という生活の問題でもあるのです。

ま、これだって認識不足と言えましょう。文化によって常識や生活様式が違うのは当たり前。労働力目的に移民を大量に入れてから「知らなかった」なんて甘い話。でもね、そうは言っても「バルコニーに洗濯物を干すのは景観を損ねるからダメよね」が常識の人々と、「空いてるスペースは使いましょうよ」と公共通路に洗濯物をぶら下げる価値観の人々が、同じ空間で生活を重ねるというのは大変なことなんです。

そして「カナダを選んで」やってきたはずの移民が、なかなか職に就かず言葉も覚えず、それでいて各種社会保障だけはガッチリ受け取り、子供はやたらと生まれ、出身国コミュニティから滅多に出ず、つまるところ「カナダ」への愛着なんぞさっぱり感じられない。しかも数が増えるにつれて居住エリアの治安は悪化し、そのうえ折々にふれ「警察の横暴」「人権侵害」などとメディアを騒がせている。

もちろん移民の全てが上記のような人たちではありませんし、それは多くのカナダ人「マジョリティ」も分かっています。カナダ人は基本的に寛容で親切です。そして自分たちの掲げた「多文化共生」のポリシーに誇りを持っている。そういう人たちは概して「移民の人々をもっと知ろう。一緒にこの国を作り上げていこう」と接触を図ろうとします。

…そして心破れることが多いのですよ。

理想主義者は真面目な人が多いです。決して軽いノリではない。堅物が博愛精神でもって「えいや!」と少数派の中に飛び込んでみる。ものすごく不自然なわけです。飛び込まれた移民のほうは「え?何?」という気持もあるし、英語に自信がなかったりすると僅かなぎこちない「触れ合い」の末にフェードアウトしてしまったり、もっと悪ければ「思わずスルー」ということもあります。マジョリティに対する不信感があれば、小さな違和感から必要以上の拒絶を見せたりもする。

そして彼らなりに歩み寄ったつもりのマジョリティの胸に「漬物石」を乗っけちゃうのね。

これは「主義」や「思想」の問題ではない。

抜き差しならない「生活の現実」なんです。

しかし忘れちゃならないのは、「生活の現実」は移民側にもあるということ。

続きます。

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参考リンク

http://www.cbc.ca/world/story/2010/10/16/germany-merkel-immigration-multiculturalism.html



私の漬物石1 傷から石へ 遠方よりアプローチ


映画『マルコムX』を観たことありますでしょうか? 一応あらすじは

アメリカ、ネブラスカ州の中流家庭に生まれた黒人少年マルコムは、黒人差別が招いた家庭崩壊を経て都会でチンピラ稼業に染まり、ついには刑務所で服役となります。刑務所で怒りと不服従の日々を送っていた彼を変えたのは、1人の知性的な黒人囚、そしてイスラム教との出会いでした。残りの服役期間を自己教育にあてたマルコムは出所後に黒人イスラム教団に加わり、黒人の自尊心の回復と地位向上に尽力します。しかし…

という実話(彼の自伝)を元にした物語です。

彼の(長くなるので省略)、今日の本題に入りますと、映画の中にこのようなシーンがありました。(細部に間違いあるかもスマヌ)

仲間たちに囲まれて足早に歩くマルコムに1人の若い白人女性が近付いて言う。
「マルコム導師、あなたの講演を聴きました。先祖の罪はともかく私は黒人の皆さんと共にありたいと思っています。私のような偏見のない白人にできるお手伝いはありますか?」
マルコムは足を止めず、「何もない」とだけ言って去る。彼女を見ることもなく。

ある白人男性が私に「あのシーンをどう思うか」と尋ねたことがあります。私は答えられなかった。それは答えが見つからなかったからではありません。彼の記憶していた「あのシーン」がまるで違うものであったからです。彼の中では「マルコムは彼女に『おまえの家族と白人仲間を殺せ』と言った」ことになっていました。ミスリードしようとしたのではなく、彼は本当にそういうシーンを観たと信じているんです。

「これはとんだバイアスだ」と、私はそのとき思いました。彼の中にある黒人への偏見を感じました。そして同時に彼の持つ偏見がどこから来たのか想像できたし、シンパシーすら感じました。おそらく彼には「被差別者である黒人たちに寄り添おうとして拒絶された過去」があるのではないかと思ったからです。そういう心破れた人たちがたくさんいるからです。

私は今まで、それを「傷」と表現していました。「瑕」では気取っているようだし何よりおこがましい。人は物ではないので「疵」もあんまりです。しかし意味合いでは「心の傷」というより「レコードの疵」に近い。(レコードなんぞ知らんと言う25歳以下の若い方のために説明しますと、疵のついたレコードは疵のところで針が飛んで先に進めず、曲の同じ部分を何度も繰り返すのです)

前述の白人男性の場合、彼の抱いている「黒人への偏見」が「傷」です。それがどのように形成されたかは考慮しません。普段忘れて生活していても何かのきっかけで心に去来する、つまり「持っている」と思い知らされてしまうものが「傷」です。ここでは「何故ついたか」「誰がつけたか」は問題にしていません。つまり被害も加害もなく「傷」だけがそこにある状態です。

しかしこの「傷」という言葉も誤解を招くことを知りました。「かつては加害者であった白人が、口をぬぐって被害者である黒人に近付いたら拒絶されて傷ついて被害者に転じている」などと受け取られるのは不本意です。

なのでこの「傷」を「漬物石」に置き換えることにしました。

これを読んでる方には覚えはないですか? 「ある事」を思うと胸の上にでっかい石を置かれたような気持になる。遥か昔にやっちまった失敗や、気まずくなってしまった友人、悪気なく言ってしまった無神経発言などなど。取り返せるものも取り返せないものもありますね。対人スキルいまひとつの私は心当たりが山積みです。

続きます



ハイテク化!


Twilogなるものを導入しました。
なんかTwitterの過去ログをまとめてくれるらしい。
http://twilog.org/shirayuki1030


カナダの医療問題


Twitterが面白すぎてブログが放置気味で反省しています。
最近あちらで愚痴ったカナダ医療について、まとめ&加筆など。

こちらでは「ファミリードクター制度」というのを敷いています。患者はいきなり専門医には掛れません(歯医者は別ね)。症状が何であろうと、まずは自分の担当家庭医(ファミリードクター)へ行って、そこで専門医療が必要と判断されたら専門医に紹介されます。

この専門医予約がえらいこと待つ(実例:皮膚科1ヶ月、神経外科6ヶ月)ので、緊急時にはERへ行ったほうが早いのですが、このERがまた混んでるのよ。たいてい3~6時間待ち。13時間ってニュースもあったな。

州によりますがカナダの医療は基本タダ。つまり医療費は税で賄うのです。だから気軽に専門医に行ってもらっちゃ立ち行かないのでしょう。症状からどの専門医に掛るのがベストか、素人が判断するより効率が良いというのもある。しかし問題は、全ての医療行為の玄関口である家庭医が圧倒的に不足していること。

この家庭医不足、以前住んでいた某市では特に深刻でした。都市人口は急激に増えているのに新規患者を受け入れている医者が少なく、市民の多くが家庭医を持てない有様。仕方なくウォークインクリニック(担当制でなく誰でも行けるが予約不可)に行くのですが、ここでも2~3時間の待ち時間。しかも専門医とカルテのやり取りなどがなく、医療機関同士の連携を取れないので、継続的な治療には支障がありました。

我が家はやっとのことで新規受け入れしている医者発見(運が良かった)。若い中国系医師でした。ま、正直経験不足を感じることもあったのですが、人当たりがよく熱心なかたでした。医者としての腕も大事ですが、それ以上にこちらの話を親身に聞いてくれる医者って本当に助けになります。しかし尋常でなく忙しいみたいで見る見るやつれてきまして、私が逆に心配して「休め」と言ったくらいでした。「あなたみたいなの、日本では医者の不養生と言う」とかさ。今はどうしてるかしら?

現在のオンタリオ州に越してきて獲得した家庭医は中国系中年医師。クリニックがちょっと遠いのが難でした。妊娠中お世話になりましたが、マタニティもカバーする家庭医はその地域で彼1人だとか。激務+ストレス多くて敬遠されるそうですよ。「カナダ人患者言うこと聞かない。糖尿で死ぬぞって忠告してるのに」と愚痴っていらした。物事をズバッと言うタイプで、私のことをけっこう気にかけてくださってた節が。ウチの子と同い年くらいのお孫さんがいたからかもしれません。

で、今の家庭医はアラブ系。良い先生だけど個人的には過去の中国系先生たちのほうがしっくり来ました。連れ合いは逆に今の先生のほうが落ち着くみたいだけど。特に文化的差異があるわけじゃなく、単に気分の問題です。地の利は最高に良い。徒歩2分。受付して家に帰れるんですよ。順番が来たら電話くださるの。大変助かります。

カナダの医療制度の何が良いって、個人に金銭的負担がないこと。しかしそれは運用を誤ると医療制度崩壊への直行便です。現にここ最近は財政がかなり怪しくなってきて、地方都市でERを閉鎖したり、人員削減や労働条件の悪化が問題になっていたりします。

最大の欠点は何と言っても待ち時間の長さ! 専門医もそうですが、MRIが半年待ちなど、高度医療検査の待ち時間も相当なものです。病気によっては文字通り命取りになることも。

私は医療関係者ではないのでハッキリと断言はできませんが、今後の課題として積極的に取り組んでいるのは予防医療ではないかしら? 特に子供の肥満対策は最近よく耳にします。その理由は糖尿病患者の増大と、膝への負担ですね。重過ぎる身体を支えきれなくなって、中年以降に人工関節の手術をする人が増えたのです。それが国庫直撃。

そのへん歩いてるカナダ人見ると「そうだろな」って思うわ。

あと、肥満による電動車椅子率高すぎ!